とてもフシギなのは、
頭痛だったり、胃痛だったりがあるときに、
そのまま、痛みに開いてゆくと、
痛みが消えてゆくということがあるということです。
それは、
「瞑想」によって、
自分に起きてきます。
そして、正確にいえば、
瞑想は、技法ではなく、
なにかすでに知っているものに、
身を任せていくということなのです。
まず、
身体に感じる痛みだったり、違和感、不調和、そういうものを感じるとき、
そこから、不幸のストーリーに埋没するのではなくて、
その痛みに対して、向かいあってゆきます。
外側に向かうところから、内側に向かうというベクトルの変換です。
それは努力にみえて、「非努力」です。
自分たちが外側にいるときには、努力にみえますが、
実際、何もしないことを許していくことなのです。
身体を開いていくこと、
それは、何かをしていくことの反対で、
ただ、何もしていかないことなのです。
身体をひらいていくことで沸き起こってくる、
「痛み」、
それを許していくことは、マインドが許しません。
マインド・・・よく、本当の自分と間違えて同一化する、コンピュータのような思考処理機構のようなものです。
考えることが、計算式をはじきだすようなものです。
とても精密にできています。
そのマインドの操作から離れてゆきます。
あなたが傷つかないように守ってくれてはいるのですが、
それに感謝しつつも、少し離れます。
「痛み」に向きあいます。
「痛み」を貫通させます。
「痛み」を身体全体に流します。
しばらく、すると、
自然と、くつろいだ気分になり、痛みがなくなっていることもあります。
Sunday, June 22, 2008
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